サンポートジャズフェスティバル2011

穐吉敏子(Pf&Cond.)

穐吉敏子(Pf&Cond.)1929年旧満州生まれ。'46年よりジャズ演奏を始め、'49年上京し、当時の日本トップグループでピアノ演奏。'51年渡辺貞夫を加え、コージーカルテットを結成し。'53年その卓越したピアノをオスカーピーターソンに認められ、'56年渡米、ニューポートジャズフェスティバルにも出演し、一躍注目される存在となる。
'73年にトシコアキヨシ・ジャズオーケストラ・フィーチャリング・ルー・タバキンを結成。数々の名演、名盤を世に残し、人気と地位を獲得。オーケストラの代表作、'74年『孤軍』・'76年の『インサイツ』などは、モダンジャズの金字塔として世界中で評価されている。'97年紫綬褒章授賞、'99年日本人として初めて『国際ジャズ名声の殿堂』入りを果たす。
'03年、30年間続けたジャズオーケストラを解散し、原点であるピアニストの活動を再開。
'06年アメリカジャズ最高峰である全米芸術基金ジャズマスターに日本人として初めて選ばれる。現在も日本が世界に誇るジャズアーティストとしてNYを拠点に精力的に活動中。


<主なアルバム> 
「フェアウェル」「ロング・イエロー・ロード」「シック・レディ」「モノポリー・ゲーム」「インサイツ」 「トシコ・プレイズ・トシコ〜時の流れ」「タイムストリーム」「孤軍」「広島─そして終焉から」 「トシコアキヨシ・ウイズ・ブラジリアンフレンズ“イエス,アイ・ハヴ・ノー・フォービート・トゥディ”」 「穐吉敏子ソロライブ アット・ ザ・ケネディ・センター」「穐吉敏子」「ヴィンテージ」 など多数。

<主な受賞歴>  
紫綬褒章、国際交流基金賞、朝日賞、全米芸術基金ジャズマスター

ルー・タバキン(Ts&Fl)

ルー・タバキン(Ts&Fl) 1940年フィラデルフィア生まれ。フィラデルフィア音楽院でテナーサックスを学んだ後、'66年ニューヨークへ進出、メイナード・ファーガソン、キャブ・キャロウェイ、サド・ジョーンズ=メル・ルイスなどのオーケストラに参加。
'68年穐吉敏子と出逢い音楽活動を共にし、'70年初頭穐吉敏子と結婚。トシコ・タバキン・ビッグ・バンドを結成し、演奏でも統率力を発揮してバンドの実力を最高度に高めた。'80年にはピアノレス・トリオも結成。
現在は自己のトリオで活躍中。テナーサックスのほか、情感あふれるフルート演奏は高い評価を得ている。代表作は自己のリーダーカルテット『ホワット・ア・リトル・ムーンライト・キャン・ドゥ』『TANUKI'S NIGHT OUT』など。


スウィンギン・ワンダーランド・ジャズ・オーケストラ

スウィンギン・ワンダーランド・ジャズ・オーケストラ1990年県内アマチュアミュージシャンを中心として結成された本格的なジャズオーケストラ。ジャズの本拠地NY「SWEET BASIL」、「N.Y.BLUE NOTE」などでの海外公演は、国内外で非常に高い評価を得ている。
'05年末から'06年始めにかけて遠征した3度目のNYツアーでは、『サンポート・ジャズ・フェスティバルin NY』を実施し、ジャズマスターを受賞したピアニスト穐吉敏子と共演。あの名だたるリンカーンセンターにおいてのアマチュア『世界初』公演は、海外のマスメディアからも大きな注目を浴び、その模様は全米のTV・新聞を通じて全世界に発信された。またこのハイライトが『文藝春秋』('06年3月号)にも掲載され、改めて“日本を代表するジャズオーケストラ”としての地位を不動のものとする。

’07年、SJF実行委員長に世界的彫刻家 流政之が就任。よりグローバルな活動へと飛躍する新たなる船出となった。’08年これまでの活動が認められ、栄えある第1回『香川県文化芸術選奨』を受賞。’09年には、高松市の助成を受け、ふるさとへの愛あふれるジャズアルバム『まちうたvol.3 JAZZ Of T-City』を製作。熟成されたSWJOのジャズがTV・ラジオ・高松市の各名所で取り上げられた。

現在は、近来希にみる一大企画『瀬戸の夕陽夢プロジェクト』に向けて、「夢」と「ロマン」を持ちつつ今日も全力で走り続けている。

流 政之  彫刻家

流 政之1923年2月14日長崎生まれ。立命館創設者の中川小十郎を父にもつ。海軍飛行科予備学生、操縦専修となりゼロ戦パイロットとなるも、敗戦。東京から下関まで各駅停車で倒れた墓をおこして歩く。北陸にて、亡くなった子供の供養のために、地蔵をたてに雪道をリヤカーを引く女性に出会う。この出会いから、寒さに凍り折れることのない首の地蔵を守ろう、とナガレ地蔵を形づくる。これが運命となり、その後の「ワレハダ」の技法につながる。
1960年頃より四国庵治村での制作をはじめる。ロックフェラー夫人購入の作品が、ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選ばれるなど、アメリカでの人気が高まる。庵治村の若い職人達でつくった「石匠塾」をひきいてニューヨークへ渡り、世界博日本館に石の壁「ストーン・クレイジー」を築き、「ベストワーク」と称される。1967年TIME誌の中で、日本を代表する文化人のひとりとして紹介される。
1975年7年がかりでニューヨーク、ワールド・トレード・センターに250tの石の彫刻「雲の砦」を完成さすも、2001年9.11アメリカ同時多発テロで消失する。日本のみならず海外にも多くの彫刻を展示し続けている。

【主な受賞】
日本建築学会賞、日本芸術大賞、中原悌二郎賞、吉田五十八賞、長野野外彫刻賞、鳥取県景観大賞

サンポートジャズフェスティバル2011